高松市の東部、屋根のような台形の特徴的な形状からその名がつけられた「屋島」は、瀬戸内海へ突き出すような地形で、古くより瀬戸内海の海路上の要所・ランドマークとされてきた。古墳時代には、唐と新羅の侵攻に備えた山城「屋嶋城」が築かれたほか、源平合戦では「屋島の戦い」の舞台になるなど、歴史にも多くの名を残している。
江戸時代までは独立した島であったが、塩田開拓などにより海岸部が埋め立てられ陸部と繋がった。山頂には中国唐時代の僧侶・鑑真が創健したと伝えられる寺院・四国八十八ヶ所霊場84番札所「屋島寺」があり、山上へと至る参道では弘法大師にまつわる遺構を見ることができる。
1934年には、その遺跡の多さと珍しい形状、山上から多島海を眺めることができる景観から、国の史跡および天然記念物、国立公園に指定された。現在も、瀬戸内海及び高松市街地を一望するビュースポットとして知られるほか、高松市のシンボルとして各種観光施設の新設やリニューアルが進められている。
屋島つくり旅 〜お遍路体験編〜
歩き遍路体験として屋島(標高292m)頂上にある四国八十八ヶ所霊場第84番札所屋島寺へ徒歩で向かいます。ガイドは、四国八十八ヶ所霊場会公認先達であり僧侶の野瀬照山氏です。
レトロな駅舎が印象深い琴電屋島駅をスタートして、屋島山頂へと続く登山道(遍路道)を進んでいきます。道中の弘法大師空海の伝説や、源平合戦に縁の深い史跡など、ガイドから解説を受けながら歩を進めること30分ほどでたどり着くのが第84番札所屋島寺です。屋島寺到着後はお寺の紹介と実際にお遍路さんが行っている参拝作法の一例を紹介し参拝します。
屋島は昭和9年(1934年)3月16日、日本初の国立公園に制定された四国を代表する景勝地です。屋島に残る数々の歴史を学び、展望台から眺める瀬戸内海とそこに浮かぶ島々の風景も楽しむことができます。
琴電屋島駅と旧屋島登山口駅
集合場所である琴電屋島駅は昭和4年(1929)の竣工。屋島ケーブルの開業に合わせて乗換駅として建てられたました。そのモダンな造りと、駅前から屋島に向かって延びる広い道路に、かつての屋島観光メインルートを感じることができます。
屋島駅から少し離れた場所には、かつての屋島登山鉄道(屋島ケーブル)の駅と、運行されていたケーブルカー(義経号/辯慶号)が留置されています。戦争による中断を挟んで、昭和4年(1929)4月から平成16年(2004)10月まで多くの屋島観光客を山上へ運びました。
御加持水と喰わず梨
駅舎を見学した後は、山頂へと伸びる登山道(遍路道)を歩いていきます。登山口で見られるのは「御加持水」。加持とは仏事の一つで、加持水はそれに用いられる聖水のこと。ここには弘法大師由来の井戸が湧いています。
屋島登山行程の半分を越えた地点には、弘法大師に所望された梨を嘘をついて拒んだ結果結果、食べられない梨が実るようになったという「不喰梨(くわずなし)」の伝承の地があります。
遍路道に多く残る弘法大師の足跡を、公認先達で僧侶の野瀬氏の解説を聞きながら頂上を目指します。
第84番札所屋島寺
屋島山上に位置する四国八十八ヶ所霊場第84番札所屋島寺。天平勝宝6年(754年)に唐の僧侶・鑑真がこの地を訪れた際に建立された寺院で、北嶺にあった寺を現在地である南嶺に移したのが弘法大師といわれています。
屋島登山道を登り切った先には屋島寺の正門がありますが、屋島ドライブウェイから別の門を使う人が圧倒的に多いため、こちらの山門をくぐる人は多くありません。その分静かに佇む姿に心を落ち着けて寺に入ることができます。
屋島寺到着後はお寺の案内と、実際にお遍路さんが行っている参拝作法の一例を紹介します。
獅子の霊巌展望台
屋島のもう一つの見所は、源平合戦の史跡です。
突き出た断崖の岩が海に向かって吠える獅子に見えることからその名がつけられた「獅子の霊巌展望台」は、素焼きの瓦を海に向かって投げる「かわら投げ」が名物ですが、その起源は源平合戦で平家に勝利した源氏方の武将がこの場所から陣笠を投げて勝どきを上げたことに由来します。
展望台からは、ふもとに広がる高松市街や瀬戸内海。その沖に浮かぶ女木・男木島等の島々を望むことができます。
モデル行程 | 9:00 琴電屋島駅 出発 9:05頃 旧屋島登山口駅 見学 9:40頃 御加持水(屋島登山口) 10:10頃 屋島寺 到着 11:30 獅子の霊巌展望台 解散 |
---|---|
所要時間目安 | 約2時間半 |
参考料金 | 5,000円(税別)/人 (4名催行の場合) ※ガイド料金、資料費、保険料が含まれます。 |